住友寛一(1896-1956)

 春翠(第十五代住友吉左衞門、1864-1926)の子息として大阪に生まれた住友寛一氏(1896-1956)は、 病弱のため財閥を継がず、生涯、宗教や文学芸術に親しむ生活を送りました。幼少期に西洋式教育を受けた氏は、岸田劉生と出会った20代の頃、ようやく東洋の美に開眼します。中国絵画では明清画、なかでも明遺民の個性派を精力的に収集、八大山人、石濤、石渓らのまれに見る優品が集まりました。その背景には、篆刻の師であり、明清画の収集で知られた桑名鉄城の薫陶もさることながら、明末清初の激動期に生きた遺民の、声誉を求めない孤応独行の生き方への深い共感があったようです。晩年に刊行した所蔵中国画の図録では、伝統にとらわれない自由な彼らの作品を多角的に紹介し、寛一氏の作品に対する深い洞察と鋭い直感が垣間見えます。それら寛一の収集品は、現在、泉屋博古館の館蔵品として折々に公開されています。

 


石渓 《報恩寺図》 清

八大山人 《安晩帖》 清